初めて本格的な視察団の添乗員を一人で任され、四苦八苦しながらも順調に日程をこなして、視察先の中国から翌朝は香港へ移動して帰国間近の夜に入電した1本の電話。
それまで和気あいあいと連帯感が芽生えた事務局との関係が一変する出来事が…。
今回の記事はHaruがご案内いたします。
目次
視察団団長秘書への報告
便宜供与ができるイミグレーション文錦渡(ぶんきんと)を通過できる車両の手配が絶望的な状況を事務局にお話したところ、まずは団長秘書に事の顛末を報告することになりました。
私は大変気が重かったのですが、仕方ありません。
秘書室長の怒り
団長の秘書室長に事情をお話ししたところ、すごい剣幕です。
「どうなっているんだ!」
ということになりました。
私がチャレンジした各種「代替策」を提案してきましたが、
「それもやってみましたが、だめでした。」
と、返答するしかありません。
結局、私から何ら希望の持てる提案も無いことから諦めたようです。
明日のための善後策
議題は明日どうするかに移りました。
翌朝はホテルのラウンジを借り切って解団式を執り行う手はずになっていました。
視察団として大成功を祝うような団長の晴れの舞台で私がこの『失態』を説明しなければなりません。
更にずっしりと鉛を負ったような気持ちになりましたが、仕方ありません。
私は、ジタバタしても仕方ない、と観念して珍しく早寝をして明日に備えることにしました。
毎日、セミスィートルームなどに泊まっていたので、こんなイメージ画像なのかもしれませんが、気持ちは下の図のようでした。
そして更に追い打ちを私を襲う
香港へ出発する翌朝は、移動日お約束の『バゲージダウン』です。
バゲージダウンとは移動のスーツケースをホテルの各部屋のドアの外に置いてもらい、ホテルのロビーに集めて荷物車で運び出すことです。
こんな時に限ってドアの外で数えた荷物の個数とロビーに集まった個数が合いません。
「はぁ~」
集まった個数を数え直して間違えでなければ確認する方法はご本人に「何個出したか」を確認するしかありません。
出発前の解団式の時を利用して確認することになりました。
添乗員にとって、『バゲージダウン』は基本中の基本の仕事です。
どんなに大きな団体でも今までこんなことはなかったのに…。
そして解団式が始まった
昨日のトラブルやら朝のこのトラブルやらで当然ながら食事なんてとる暇ははありません。
バタバタしながら解団式に臨みました。
バゲージの数はおひとりずつ確認させて頂き、ロビーにあった荷物の個数と照らし合わせて数を確認しました。
ここで数が合わなかったら本当にどうしようもありませんが、さすがにそういうこともなく、なんとかクリアすることができました。
そして団員の皆様の前で今日の香港への入国手続きの説明です。
当然『特別扱い』できなかったことへのお詫びと説明は私の仕事です。
もちろん、みなさんその場で文句を言うような人たちではありません。
秘書室長の言葉が私の心に刺さっていく
解団式の後、団長の秘書からは、
「帰国後にこのことについてはきちんと話をしましょう。」
と言われました。
この時は秘書室長もだいぶ冷静になられていたので、「責任は取ってもらう。」といった姿勢は崩しませんでしたが、口調は丁寧になっていました。
ぜも前夜は、声を荒げて、
「こんなのは旅行会社の責任だろっ!これはエクスキューズでいないからなっ!」
などと怒鳴られました。
私はその都度、
「おっしゃる通りです。大変申し訳ありません。」
と、ただひたすら謝罪の言葉を繰り返していました。
私は個人的には、「たかだかバスや車から降りて手続きをするかどうかの違い」ですから、どうだっていいように思います。
二本の足があれば、どうってことない手続きです。
でも仕事って得てしてこういうものだと思います。
利用者が望めば自分ではどうだっていいことも必死にそれを遂行するために努力しなければならず、私は結果的にそれに失敗してしまいました。
私には失敗は無かったのですが、私が代表としてお客様と対峙している以上、会社の失敗は私の失敗です。
とても悔しく思いました。
無事に香港入国
香港へは特に問題もなく入国することができました。
『特別な配慮』がない入国審査ではありましたが…。
香港ではすべて自由行動なので帰国前の束の間の休息みたいなものです。
訪問団の最後の資料作りがありましたので事務局のお手伝いをしました。
事務局も今日は団員のお世話から解放されましたので、夕食は「打ち上げ」をすると聞かされていました。
しかし私にはお呼びがかかることもありませんでした。
それまでは手伝いを感謝され「打ち上げ、楽しみにしてて下さい」なんて言われていましたが…。
私の香港でのディナー
私は昨夜からのバタバタの疲れで、夕食は外のレストランに食べに行く気力もありませんでした。
出発前には我が社一のセレブの総務のおば様に、
「はるさん、香港のアイランド シャングリ・ラのスイートに泊まるんでしょう?あそこはとっても素敵なホテルよ」
なんて言われてとっても楽しみにしていました。
セミ・スィートの電動式のカーテンを開けると、大きな窓いっぱいに広がる夜景はとても素敵でしたが、ルームサービスで食べる、一人っきりの夕食はこのツアーのフィナーレを迎えるにはちょっと寂しかった…。
私にとって、100万ドルの香港の夜景と『文錦渡』という言葉は、ほろ苦い失敗の思い出です。
前夜に秘書室長に謝罪に行ったり、大勢の団員の方々の前で説明したことよりも、最後の夕食が寂しかったことが私には何より応えました。
だって、こういう時に最後に喜び会える時間を楽しみに、意識朦朧とした寝不足とも闘って、プレッシャーをはねのけ、始終走り回っているのですから…。
でも私は入社して間もなく言われた言葉を胸に次のツアーで頑張るぞって言い聞かせました。
『旅行の仕事は自分の力ではどうしようもないことに対応することを迫られることばかりだ。だからそういったことを受け止める力が無いと精神が持たないからこの仕事には向かない。』
私はこういった経験をするうちに、少しずつこの仕事に向いているようになっていったような気がします。